猫考
明日で家の猫が1歳になる。めでたすぎる涙
小さな頃から動物は好きだけれど、猫は別格だ。
ツンデレで自由気まま、ふわふわの体にぱっちりおめめ。
猫は内も外も魅力でいっぱいだが、何がこうも人を惹きつけるのか真剣に考えてみた。 (暇)
一つに絞るのは難しいけれど、結果「こだわらない」ということだと思った。
一緒に生活してみてわかったが、ほとんどのことにこだわらない。
もう遊べないとわかると違うことを始める、怒っていてもすぐ忘れる、何でもトライするなどとても軽やか。
なんでこうなんだろう、理想と違う、どうしてもああしたい、などと思ってしまいがちな私にとってすごく新鮮だった。
そして、自分はいかに「そのまま受け入れる」ということができないか、いかに自分を人に良く見せようとしているかを認識した。驚いた。
うっすらと気付いてはいたが、こうも自分に執着していたとは。
最近素敵だなと感じる人も、みなこだわりが薄いように思う。
そうやって軽々と、自分にも相手にも無理をさせずに生きていけるってなんて素敵なんだろう。
私もそうなりたい。
とりあえず猫に勉強させてもらおう。
ふと
また何か書きたい気分になった。
どうやら私は5月になるとブログを書きたくなるらしい。
一年前の文章を見て (下書きのままのものも多かった) 、「ああ、婚活頑張ってたんだなー」と思う。
この一年で一人とお付き合いをし、別れた。
期間は半年ほど。
後悔も、思ったほどの傷心もなかった。
やりきった感があった。
それは年齢や経験値的なものももちろんあるが、すごく好きなわけではなかった、ということでもあると振り返って思った。
今は婚活もせずに趣味ややりたいことを謳歌している。
焦りもなく一人の時間を過ごせるのは久しぶりですごく楽しい。 (本当は焦らないといけないのは理解している)
将来についても、結婚できるかどうかより自分のやりたいことを実現できるか、自分を表現しきれるかということの方が大事に思えてきてた。
こじらせが始まっているのかもしれない。
歳もとった。
が、自分が求める生活や未来像が前よりも明確になった。
要は今までより生きやすくなった。
もう一つの大きな変化として、猫を飼った。
迎えるまでに二年悩んだ。
単身で帰りが決して早くなく、狭い部屋で本当に飼えるのか。幸せにできるのか。
でも、あの時決断して本当に良かった。
猫のおかげで毎日楽しく、幸せを実感している。感謝しかない。
猫も少しでもそう思ってくれているといいな。
ということで着々と元々低い市場価値をさらに低下させている。
でも、客観的に見て去年の私より今年の私の方が友達になりたいかなと少し思えたので、よしとしようと思う。
恋愛は自己責任
個人的には「自己責任」という言葉はあまり好きではない。ネットやニュースでこの言葉が挙がる時、「それだけで済ませちゃだめなんじゃ・・」と思うことがよくある。
でも、恋愛においては「自己責任」で行うものだと思っている。
責任というと何か罪を被ったり、または努力して成し遂げなければならないといったハードなイメージが強い。google辞書からの引用も下記の通り。
人や団体が、なすべき務めとして、自身に引き受けなければならないもの。
しかし、個人における責任は「どんな結果になっても受け入れる」ということだと思う。
恋愛は自由だ。自分が相手のことをどれだけ想っても、相手が振り向いてくれない可能性は大いにある。
でも上手くいかない時、心のどこかで「こんなに想っているのにどうして」と見返りを求めてしまうことが多い。相手への想いやかけた時間、行った努力の総量が多ければ多いほど怒りに変わってしまうのだ。
そして、そういう時ほどベクトルの違う努力をして、空回りして成就せず、引きずってしまう。
引きずると恋したこと自体をマイナスに感じたり、「自分が〇〇だったから」などと原因を自分の中に探してしまったり。それはすごく不必要でもったいないことだと思う。
そうならないための解決策は、やはり「どんな結果も受け入れる」という覚悟を持つこと、自己責任の意識だと思う。
成就する確証もないことに時間をかけること自体が30オーバーにとってはリスクなのだ。時間をどう使うかもやはり自分の判断、責任である。
自分のために「自己責任」の意識を持つべきだと強く提唱していきたい。(みんなもう知っていたらごめんなさい照)
恋愛がうまくいかない理由もこのようなすれ違いが大きいのではないかと思う。
相手は普通に好意を示してくれているのに、「私はこんなに想っているのにそれだけ?」などといった具合に。
要は相手の好き度を見定めて、自分の態度をそれに合わせる努力をすればいいのだ。
えらそうに書いてきたが、婚活を2年続け、恋愛のリテラシーを上げてきたつもりだが一向に成就しない。悲しい。
好きな人に好かれるって至難ですね。。。「好き」「俺も好き」っていう会話どこにあるんでしょうか涙
結婚する権利を持つ者、持たざる者
「彼氏いるんですか?」と聞かれると正直少しうれしい。
相手は他意なく聞いているのだろうけれど、この人にとって私は『普通に恋愛をしていい人間、異性から好意を抱かれる要素を持った人間』に映っているのかと思うとほっとする。
どこにでも居る、一般的な女性の一人になれた気がして安心するのだ。
『一般的』が人それぞれで決まりなんてないことも、そもそも大きく捉えれば『一般的』じゃない方が難しいこともわかっている。それでも私は『一般的』に憧れる。
私は目に障害がある。視野が徐々に狭くなっていく進行性の病気によるもので、治療法がなく難病指定されている。
幸い仕事をして一人で食べているし、周りの人にも恵まれて理解してもらえている。
若いころは自分の中で折り合いが付けられず本当に悩んだけれど、大人になってからは諦めもあるのかだいぶ楽になった。少しずつ認めることができているんだと思う。
でも躓いた。恋愛においては解決策が見出せないのだ。
私は何においても『深く狭く』を好む。
人間関係は顕著で、本当に好きな人と密に関わることができればそれでいい。
伴って結婚願望も昔から強いが、持病が進行した場合、一番大切な人に迷惑をかけてしまうこと、またそれによって嫌われることが一番こわいのだ。
相手に迷惑をかける可能性がある、むしろ高い自分に、仮に『人を好きになる権利』はあったとしも『結婚する権利』なんてないんじゃないかと思う。
そしてそんな自分を好きになってくれる人なんていないんじゃないかと。
なので私にとっての『一般的』は健常者だ。
堂々と人を好きになることができて、結婚する権利も持つ、絶対になることのできない眩しい存在。
でも障害者でもやっぱり恋がしたいし、好きな人に受け入れられたいと思う。
なので婚活なりで出会いを求めて、受け入れてもらえるかもしれないという僅かな望みに期待する。その人の邪魔に、迷惑にならない程度に。
現代の日本において結婚に権利なんていらないし、二人が納得できていればいいだけのこと。
そうはわかっていても向き合うのがこわくてスタートラインにも立てそうにない私はどうしたらいいのだろうか。
※※持病や障害のある方の結婚を否定している訳ではなく、健常者の方は悩みがないなどと思っている訳でも全くありません。
ただ自分のこととなると…という内容です。ご不快にさせてしまったら申し訳ありません。
自分の履歴として
ブログを始めてみようと思う。
日々感じたことや誰に言うまでもないことをここに残していけたら。
すごく私的な内容になりますが、万一間違って読んでくださった方のために簡単な自己紹介を。
関東在住の独身女、32歳の会社員です。
趣味は読書と横になること、ぼんやり考えごとをすること。
インドアで一人が好きですが、今はもっぱら婚活をしています。
そのことも書いていけるといいな。
今年の目標はアウトプットしていくこと、「やり始めてから考える」を習慣化することです。
どうぞよろしくお願いします。